こんにちは。
突然ですが、お子さんがスマホのアプリゲームにハマってしまい、困ってるお母さんはいらっしゃいますでしょうか。(お父さんでもいいんですが)
今日は、10年来の友達から借金してまでアプリゲームに課金してしまう、私の友達のお話をします。
もし「どうしたら、せめてほどほどぐらいでゲームしてくれるのか」と悩んでいらっしゃるなら是非ご一読ください。
目次
アプリゲームに熱中して借金する友人
先日、友人からこんなメールが送られて来ました。
(画像掲載許可済みです。文中では「先輩」と呼ばれていますが、私の方が年下ですし、同じ学校に通ってたわけでもありません)
友人、A子とはかれこれ10年以上の付き合いがありますが、遊ぶのは年に2~3回が良いところ。
それでもなぜ彼女が私を頼って来たのか。
答えは簡単。
「いい年してアプリゲームに課金し過ぎて生活出来なくなったなんて、親には言えないから」それだけでした。
A子は今年で35歳です。
結婚どころか、彼氏もいないですし、転職に転職を重ねて、今の会社でもまだ勤続年数2年ちょっと。
昔は社交的で成績も良かったし、特別秀でてはいないものの、そこそこ優等生でした。
なぜ彼女はこんな風になってしまったのでしょうか。
「ガチャ」が一番の落とし穴?
最近のアプリゲームの最も大きな課金要素としては、やはり「ガチャ」が大きいでしょう。
ガチャとは、カプセルトイと呼ばれる抽選式の玩具購入方式の呼び名、または、カプセルトイのように中身がランダムで決まるソーシャルゲームのアイテム課金方式の通称である。
-引用元:Wikipedia「コンプリートガチャ」-
「ガチャ」は、ギャンブル並に射幸心を煽るので、ついつい使い過ぎてしまうことはあります。
特にアプリと並行してSNSもやっていれば、早々と当たりを引いた人が「やったー!」と、画像と一緒に投稿しているのを目にしてしまいます。
かなり悔しいです。
しかし、数多のアプリゲームユーザーの大半が、生活に困窮するまで課金してしまう「廃課金勢」にはならず、ライトに楽しむ「微課金勢」か、まったく課金しないで楽しむ「無課金勢」で留まっていることから、ガチャ機能自体が悪いとは言い切れません。
実を言えば、私もA子と同じゲームをやっていて、たまに大盤振る舞いしてしまいますが、生活に困ったことはないですし、最低限の貯金もしつつ年に2回ほど旅行する余裕ぐらいあります。
つい熱中してしまう性格か、理性的な性格かがボーダーラインになるのかと思われるかもしれませんが、私は決して理性的な性格じゃありません。
それでも「お金を借りるほどの廃課金勢」と「お金を貸す側でいられる微課金勢」に分かれてしまったのはなぜでしょうか。
廃課金勢と微課金勢のボーダーラインはどこにあるのか
一番は、「普通が一番だ」と思えるかどうかにかかっています。
生きてれば大なり小なり浮き沈みはあります。仕事で失敗したら凹みますし、食べたご飯が美味しければテンション上がります。
しかしA子を見ていると、浮き沈みがあまりに激しいのです。
どこかの本で「心はバネだ」という言葉を見かけましたが、本当にそうだと思います。
「また生活費を削ってまで課金してしまった」と落ち込む時は、とんでもなく落ち込み、全力でバネを押し潰している状態です。
「もう生きてる意味も価値もない」と言い出すほど落ち込みます。
しかしそんな時に「当たり」を引いたら、バネは一気に飛び上がります。
普通の人の「嬉しい」「楽しい」の次元ですら突き破って、幸福と興奮と達成感と万能感がマーブル状になった世界に包まれるんだと思います。
その景色はきっと「ご飯が美味しい」「友達と喋って楽しい」くらいでは満足出来なくなるほど中毒性があるものなのでしょう。
しかし、勢いよく飛び上がった分、天井に頭をぶつけた時にはまた急降下します。
その「天井」とは、クレジットカードの請求書や、ATMの口座残高の表示などのどんなに目を逸らそうと逃れられない「現実」のことです。学生さんだったら「定期テスト」や「成績表」などでしょうか。それとも気軽に話せる友達がいない「教室」でしょうか。
ついさっきまで普通の人には見られない天国にいたのに、一気に地獄へ落ちてしまったら、「またあの天国へ行きたい」と思ってしまうのでしょう。地獄を見た分、とてつもない天国が待ってると信じてるのですから。
「天国も地獄ももういやだ、この平坦な道が一番」と思えるようになるまで、A子はバネのように上を下への大騒ぎ状態を続けるのでしょう。
心がバネみたいだと、本当に情緒不安定ですし、落ち込んでいる時には思考力や判断力が著しく低下します。
そのバネを「クッション」にすれば感情の上下が落ち着くはずです。
それには、「自己肯定」が大切です。
心の「バネ」状態を直すには「自己肯定」がカギ
「現実」に何か不満や不安がある人ほど、心がバネ状になってしまいます。
その不満が外的なものならまだ改善の余地もありますが、「私はこんなモンじゃない、私はもっと凄いことが出来るはずだ」「私にはいったい何が出来るんだろう、私って無力な人間なのかな」といった内的なものだったら、他人がどうこう出来るものではありません。
自己肯定のヒントは「普通」
ガチャなどギャンブル性の高いものにハマってしまう人全員に該当するわけではないと思いますが、少なくともA子は精神的に幼い方だと思います。
昔からタレントや声優やスポーツ選手に憧れていて(憧れること自体は何も悪くないです)、彼らの見せるきらびやかな世界であったり、血の滲むような努力や壮絶な挫折経験だったり、そういった「凄い物」を自分も味わいたいと思っているのです。
でも、それらはテレビ越しに見るから「凄い物」なのであって、やってる当人からしたら地味で、地道で、泥臭いもののはずです。
そのことを(故意的にか無意識的にかは不明ですが)見ようとしないで、「キラキラした凄いこと」としてしか見ないで、自分も同じことをしたいと願っています。
だから、会社や日常生活で味わう苦労や悔しさは、テレビに出る人たちが味わっているものとは別物で、「意味のない物」「大した物じゃない」と見てしまうのだと思います。
A子は「普通が一番大変だ」ということを、認められないのでしょう。
芸能人やスポーツ選手だって、「今日のはなーんか今ひとつなんだよねー。もっとこっちサイドの作りたいもの察知してくんないとさー、もう若くないんだから愛嬌だけじゃやってけないよ?」と嫌味を言われたり、「何回やり直しさせるんだ、下手くそ!もっとドバーッとダーンッとしたの寄越せつってんだろ!!」と意味不明な言葉で怒鳴られたりしてるはずなのです。
しかも彼らの業界にはセクハラだのモラハラだのが通用しにくい分、もっと悪質に違いありません。
それでも笑顔で人前に出る、彼らの裏の努力を見なくて良いのは、10代までです。
社会人にもなってそれはよろしくない。
この世で最も金かかるのは「現実逃避」です
今回はA子からとんでもないメールが届いたため、「廃課金勢」にスポットライトを当てましたが、ギャンブル狂や買い物依存症、アルコール中毒者、何かに依存してしまう人全てに共通することだと思います。
「普通」を大事に出来ないまま大人になると、「普通の自分」と「現実逃避した先にいるキラキラした自分」との乖離をお金で埋めようとしてしまうのです(もちろん、本人はそんなこと気付いちゃいません)。
現実逃避には終わりがないから、他人から見たらムダな物に見える物へ際限なくお金を使ってしまいます。
だから、自己肯定がカギなのです。
お父さん、お母さん、「普通」を褒めてあげてください
今の世の中、個性だの特別なオンリーワンだのばかりがフィーチャーされて、「普通」がすっかり影薄くなってしまっています。
「普通」は十分凄い。
「普通」を保つのはかなり大変。
「普通」でいる自分はとても偉い。
誰もそんなこと教えてくれません。
私は、幸いなことに、母親がきちんと言葉にして言ってくれた経験があり、ギリギリ道を踏み外さないでいられました。
私の妹は生まれつき病弱で、ちょっと気を抜くとすぐに入院生活に突入してしまいます。
当然両親の関心は妹に集中しがちで、「特別じゃないと構ってもらえない」といじけかけたことがありました。
しかし、そんな時母親が、「ちゃんと学校に行って偉い、100点じゃなくてもちゃんとテスト受けて偉い、ちゃんとご飯食べて偉い」と褒めてくれました。
「そんなの普通じゃん」と私が言い返しても、「普通だから偉い、普通は凄いんだよ」と言ってくれました。
「たったそれだけのこと」かもしれませんが、幼稚園~高校生ぐらいまでの間に親から言われる人ことは、その後の人格形成に多大なる影響をもたらします。
ですから、「何でウチの子は、こんなにゲームばっかりに熱中してしまうんだろう」とお悩みのお父さんお母さん、まずは「自分は、子供が普通であることを褒めてあげたことはあるだろうか」と振り返ってみてください。
ゲームやアニメやマンガ・芸能界・スポーツ界には「特別」がいっぱい詰まってます。
もしくはそう見えるように演出されています。
「特別」に憧れるのは悪くありません、それが向上心や成長に繋がっているなら。
でも「特別」への憧れが、「普通」への軽視や、現実逃避に繋がっているなら良くありません。
だからまずは「普通」や「当たり前」を褒めてあげて欲しいと思います。
中高生ぐらいの大きなお子さんにそんなことするのは気恥ずかしいかもしれませんし、お子さんからのリアクションは、「は?」とか「キモい」とかかもしれません。
それでも内心では嬉しいと思いますし、その時は嬉しくなくても、心に種は植え付けられると思います。
「異常なこと」を叱る前に、「普通なこと」を褒めてあげてください。
試しに、A子を「ヤバい所からお金借りたりしないで、人に相談したり助けを求めたり出来たの偉い」って褒めてみました。
これでA子が、「いよいよ消費者金融からお金借りるしかないレベル」にまで落ちなければ良し、課金はそこそこで一般的な大人の遊び方が出来るようになったら大成功です。
何ヶ月か経ったら、追記しようかなと思います。
余談:見極めポイント
お子さんの「特別」への目が、成長に繋がるものか、それとも現実逃避に繋がるものか。
その見極めは難しいと思います。
だから無理矢理断ち切ろうとせず、お子さんが出来てる「普通なこと」の部分を褒めてあげる方が確実性が高いと思いました。
ただ、強いて見極めポイントをあげるのであれば、「特別」を語る時のお子さんの言葉に注目してみてください。
内容は分からなくて良いですし、親とはもうマトモに口きいてくれないようであれば、お友達と電話してる時や、兄弟がいれば兄弟と話してる時でも構いません。
例えばスポーツの試合について喋っている時、男の子なら「俺ならもっとスゲーの出来るけどね」のような見栄を張ることは普通だと思います。
問題は、その前です。
「◯◯のあのシュート、すっごかったよな!」なのか、「◯◯のあのシュート、あれはナイわー」なのか。
前者なら問題ありません。
たまたま1回そんな話をしただけの場合でも問題ないと思います。本当にその場面のシュートが「ナイ」ものだったのかもしれませんし。
でも毎回毎回、「けなし」が入ってる場合は要注意です。
女の子でもそうです。
「◯◯ちゃんって可愛いよね」の後に、毎回「でも××ちゃんはナイよね」が入る場合は危ないです。
どちらも「特別」ばかりを特別視し、「普通」を軽視しがちな子になってしまっています。
特に「ナイ」と言ってるものが、「えっ、別に普通じゃない?」と思うものだったら余計に危険です。
「特別」を強調したいがために、本来普通であるものを「普通以下」に仕立てあげようとしてたら、それはもうとんでもなく厄介です。
1日でも早く「普通」が凄いことだと教えてあげて欲しいと思います。
ここまで長々と読んでいただきありがとうございました。
私は、教育学部出身とかでもないですし、教育関連の仕事をしてるわけでも何でもありません。子供を育てた経験もありません。
ただちょっと「特別」への特別視が強すぎる大人の友達が身近にたくさんいるだけの、「元・子供」のいち意見だと思ってくださいね。
更に最後に、どんな画像でも用意してくれてる「いらすとや」さんに心からの賞賛と御礼を。